忍者ブログ
妄言集。腐女子発言(カテゴリー)は基本的に折りたたみ。
[28 [27 [26 [25 [24 [23]  [22 [21 [20 [19 [18
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 日帰りだからと舐めてたものの、手術後の経過が良くないので今日の日記はmixiから移動してきた「月の明り」の歌詞についての考察文。長かったので折りたたみ。
 当時は全体公開にしていたため「いだ○」さんにこの日記を見られました(恐)今はさすがにクローズだ。

WEB拍手ありがとうございます! 更新を期待されての拍手でしたらすみませんがもう少々お待ち下さい。そしてプレイ日記の兄さんとの対決は試行錯誤中です。
 


~ゲームクリア後エンディングについて触れた日記~
 月の明かりについては…なぜ、あそこで入るのかが意味不明。
 最後の最後で月家族の後ろ姿が出るけど、それのイメージでああゆう使い方をするのならば、カインをイメージして作られたなんて先に言わない方が良かったのでは。
 そしたら月家族がセシルを見守る歌で、月に行ってしまった兄さんやあの家族がセシルを案じる切ない感じでぴったりになったのに(この歌詞まんまで行くとちょっとホモくさく受け取れてしまうけれど、君の涙~のあたりの歌詞を変えたら結構普通に兄さんの歌に見える)終わりのない旅路とか、さまようばかりとかのあたりは特に。 

 ゴル兄には一応月の民という仲間ができたからいいのか、一番可哀想なのはカインって事かと。 でもエンディング後のカインの歌だとすれば、「君の涙」っていうのはおかしくないかと思うのですがどうなんだろう。なんでローザが泣く事になるかが分からない。セシルがいるんだから、ローザが泣く必要なんかないじゃんか。
 むしろこの歌詞をつけられてしまったカインが哀れにすら思えてくる。こんなすっきりしない気持ちを持つのは初めてだ。
 エンディングを見ると、バロンに帰らないのはローザの件よりも、やってきた行為に対する謝罪も含め、二度と同じ過ちを犯さないように自分を厳しく鍛える事の方に重点が置かれている気がするし、自分の感情をはっきり認めている上で、自分の中で進む道と答えを出したのだから、別に不憫な子じゃないと思う。
 DSカインはあんな歌詞の歌まで出されて、哀愁を煽られている気分だ。可哀想な子扱いなのが一番の不満かな。
 愛のテーマって主にセシルとローザの場面で使われたり、エンディングでも使われているから、その場面場面で歌詞を連想してしまうのに、なんでこんなに切なく悲しい歌詞にしたのだ…。


~色々考えた後の日記~
 FF4のサントラでも短いバージョンを聞けるけど、それとは別にやっぱり月の明りのCD欲しいな。 間奏の部分が好きだ。
 ん~、でもあの歌詞ではなぁ…と躊躇していたけれど、今日、気がついた。
 あの歌詞、カインの心情だと思うからだめなのであって、そうでなければいいみたいだ。
 公式でカインの心情云々と言われているからすっかりその気になってしまったけれど、あれって自分の事を「僕」と言っている所からして、カインの気持ちではなく、セシルがローザを想う歌だと思えば全部解決じゃねいの。

 セシル→ローザだと思えば色々納得はできる。
「君の涙ぬぐう事も出来ず」のあたりはファブールでローザがかっさらわれた後だと思えば納得行く。
 この頃のセシルははっきりとローザに想いを伝えていないのでかなり関係が曖昧だったけれど、失って初めて大切さが分かり、自分の気持ちにはっきり気がついたと。
 ファブールイベント終了時点ではカインをも失っているから、「共に笑えてた穏やかな日々」がローザだけではなく、平和なバロンで三人でいた日の事でもあり、かけがえのない時間だったと一層重みを増しているわけだし。

「疲れたこの足でさまようばかり」とはローザを助けに行かないで試練の山に子供づれで行くはめになった寄り道のことか。もしくはひとりでミシディアに漂流したひとりぼっちの時とか。
「錆び付いたこの胸」というのは、暗黒騎士になる事で色々封じ込めなければいけなかった自分の感情(感情を殺す事に慣れてしまって錆びた心)だと思えば全て辻褄があう。

 そう考えれば切ないばかりの歌でもないな。
 元曲タイトルの「愛のテーマ」に相応しい歌詞で、静かだけれどとても深い。何よりも悲しい雰囲気がないし、切ないけれども最後にはこの想いはちゃんと報われるもの。 

PR
忍者ブログ [PR]